更新情報(2021/9/16)
子どもの頃の記憶。
ふと、霊柩車をみたら両手でこぶしを作って親指を隠したのを思い出しました。
企画メンバーも「やってた!やってた!」という。
そういえば、最近は宮造の霊柩車も見ることもないし、これも消えゆく習俗なのだろうか・・・
何気ないツブヤキに、高橋さんがコメントを返してくださいました!
霊柩車が通るとき親指を隠せという話をいとうさんがされたので、少し話してみたい。
たぶん親の死に目に遭えなくなるためと思いますが、それ以上の意味はよくわかりません。
ただ、まじかに死に直面すると、いろいろ理不尽な感情が沸き上がります。
身近に孤独死を経験したり肉親や友人ががん告知を受けたときなど、迷信、呪文、まじない、
宗教への関心がふっと出てきます。
葬送習俗のなかにも、出棺時に茶碗を割ったり、ちょっと今の人の感覚で理解しづらいものに、
死亡直後、死枕を蹴り飛ばすというのがあります。死のケガレが身内にも及ぶことを恐れてのことでしょう。
大阪府の最北端の能勢町は長く土葬が続いたのですが、葬式の翌朝、喪主夫婦がそろいの白装束を着て墓参りをするという風習がありました。灰よせ参りと言います。
能勢には素浄瑠璃の伝統があって、村には今も素浄瑠璃の名人がたくさんいます。
名人の一人が90年頃、夫婦で灰よせ参りをしたことを語ってくれました。
名人にとって忘れていた記憶でしたが、「そういえば」と思い出しました。
早朝、死装束の夫婦が墓参りをする光景は、まるで人形浄瑠璃の道行を見るようでした。
いつもメメントモリ(死を思え)である必要はないと思いますが、死に直面すると、いわく言い難い原始的な感情が沸き立ちます。尾てい骨の先っぽにあったはずの尻尾が震える感じ?キツネにだまされやすい心性もそうしたものだと思います。