9.26 更新情報 

10・16寺子屋に向けて思っていること

遺族は野辺送りの道中、白の死装束を着ます。頭に三角の白布をかぶり怪談話に出てくる幽霊のようです。遺族・近親者が白ずくめの装束をするのは、死者になりすまし、死によって生じたケガレをわが身にかぶるという意味があります。

「死んだ母の野辺送りで僕は左前に着ました」と、滋賀県余呉湖の村のHさんが言ったので驚いたことがあります。それは普通に着る着方と逆で、そこまで徹底して死者に似せるのは、さすがに稀です。断固としたかれの口調には、亡母の死のケガレを一身に背負おうという決意が現れているようでした。

Hさんは90歳を過ぎた母が認知症になったとき、生まれ故郷の余呉に帰り、「終の住まいで母をおくりたい」と決意し、築250年の古民家の自宅で看取り、山の埋葬墓地まで野辺送りを組み、葬りました。山の墓は古代天皇の風葬墓地までさかのぼれるであろう、古い形態の埋葬墓地でした。それをモガリと言います。

滋賀県は10年ほどかけ琵琶湖沿いの村をくまなく調査し、『土葬の村』(講談社現代新書)のベースとなった調査です。今、寺子屋本番で何を話そうか考えながら、調べなおしをしています。

この切り絵は、右から位牌持ち、水桶持ち、霊膳持ち、棺担ぎ(二人)、土葬の穴掘り役。さしずめ死出の旅路を飾る六人衆で、「六役」といいます。みな死装束を着ています。

高橋繁行拝